寺山修司記念館
033-0022
青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955
TEL0176-59-3434 FAX0176-59-3440
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寺山の足跡


●>>ゆかりの地<<●







 寺山修司は昭和20年7月の青森大空襲から昭和24年夏までの4年間を三沢市で過ごしました。この多感な少年時代に刻まれた記憶が後のテラヤマ芸術の原風景となり、三沢市は前衛芸術家として時代を駆けぬけた彼の故郷となりました。
 寺山修司は、エッセイで次のように少年時代を振り返っています
 私が、はじめて「ふるさと」を目にしたのは、汽車に乗ったときである。車窓から見る山あいの小さな村(青森県上北郡六戸村古間木)は夏だった。製材所の唸る鋸の音が聞こえ、向日葵が咲いて見えていた。
      (『悲しき口笛』立風書房 59ページ「ふるさとの風景」より)
 現在三沢駅の隣にある古牧温泉には当時は大きな杉本製材所があり、寺山食堂の真向かいには下久保製材所があり、寺山修司の自宅であった新町には高橋製材所がありました。そして修司が古間木へ来た時も去った時も季節は真夏で、向日葵が咲いていました。
 寺山修司と従兄弟にあたり当時の様子をよく知る当館館長寺山孝四郎の思い出と共に、寺山修司ゆかりの地をご案内いたします。
●寺山食堂
 修司の父、八郎の実家。三沢駅前の交差点が寺山食堂の跡地。地域の整備にともない建物は撤去され道路となっている。青森空襲で焼け出された修司と母はつがこの二階で間借り生活を始めた。
●寺山修司の自宅
 寺山食堂二階の間借り生活からまもなく、修司と母はつは新町に住まいを移した。
●上野時計店跡
 三沢駅が古間木駅だった当時、時計と楽器を扱う店だった。修司はここでよく寺山館長とレコードを聞いていた。上野時計店店頭には現在見かけることのない「ビクターの犬」が置かれていたが、修司はそのビクターの犬がいたく気に入り、それに似た近所の犬を可愛がっていたという。
●墓地
 修司は墓地へ足を踏み入れることさえ嫌がるほど臆病で怖がりだった。そんな修司を、いたずらっ子たちはわざと墓地に誘い、かくれんぼをして遊んでいたという。墓地「墓地」と「かくれんぼ」という組み合わせは、寺山の代表的な映画作品『田園に死す』では効果的に用いられ、欠かせない名場面となっている。
●古間木小中学校跡地
 修司が寺山館長と通った小中学校。現在は縫製工場になっている。古間木小学校跡地ただし地図に表記されているこの建物は、修司が三沢を離れた後に新しく建てられた校舎を工場として再利用したものであり、当時はこの建物の西側にあった。校庭はほぼ現在のままと思われる。
●不動神社
 当時の子供たちの遊び場。不動神社修司と寺山館長もここでよく遊んだ。地域の祭事の中心として栄えたが、現在は訪れる人も少なくひっそりとたたずみ、敷地内の巨木と社へと続く石段が当時の様子を伝えている。
※お願い

ここで紹介している場所は、すべて私有地です。ご見学される際には、無断で立ち入るなどの行為はご遠慮ください。
住宅街ですので、お車で直接訪問されることはご遠慮ください。駅前には複数の駐車場がございます。
寺山修司の「ゆかりの地」を後世に残していくためにも、マナーを守り、たのしくご覧ください。
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